05-な行, 0508西浜佐陀町

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<写真>

<地図>松江市西浜佐陀町

<碑文>
田尻栄利氏
 顕彰碑
  佐野廣書

 田尻栄利氏は、明治三十八年八月十日 松江市古曽志町に生まれ 大正十三年松江農林学校を卒業 島根県農務課に奉職の後 昭和十六年抜擢されて島根県農会技師となり 次来農業関係団体の要職を歴任した この間 若き情熱をもって専心職務に精励し 農業に対する限りない愛情を深め 卓越した識見を積み 信望をあつめ 昭和二十八年一月推されて古江村農協組合長となった
 生来豪毅 責任感旺盛 就任以来不屈の協同精神を発揮 比類まれな先見性を発揮し 特に昭和三十年から二期八年間 松江市議会議員として 行政 経済両面から地域農業の近代化と農協発展に挺身したことは特筆すべきことであった
 昭和三十八年三月 他に先んじて法吉 生馬 古江 秋鹿 大野の五つの農業協同組合の合併を実現し 以来組合長として円熟した人格と 豊富な経験から得た 該博な知識のもと 常に時代を先どりし 明確な判断力と 卓越した指導力により 農協の在り方を示範し 日夜奔走 地域の発展と農業の振興に貢献 中でも地区内水田の大部分にわたる圃場整備事業の実現 特産いぐさ 葉たばこの振興 各種農業近代化施設の導入等々 その功績は多大であり 景仰感謝の的であった
 昭和四十八年四月十七日 忽然としてその道に殉じ まさに奮迅の一生を全うした 生前の功労は高く評価され 國は 氏の多年の功績に対し 従六位勲五等に叙し偉業を顕彰した
 この傑出した人士の功績を広く後世に伝え後進の育成を図らんとし ここに顕彰碑を建立し 永く遺徳を偲ばんとするものである
  昭和五十四年十一月吉日
    顕彰碑建設委員会
<建立>
昭和54年(1979年)11月(碑文より)

01-あ行, 0104内中原町

<写真>


<地図>松江市内中原町

<碑文>
小橋先生は 大正二年当校を卒業され尓後貧困その他悪条件にもめげず苦学力行 松江中学校 京城医学専門学校に学び 満州新京に於いて順天病院を経営されました
昭和十六年母校 内中原小学校の校地の狭隘を聞くや直ちに率先して多額の浄財を寄託され これにより約五百坪の校地が拡張されました
新校舎落成に当り 終戦時家族と共に自刃散華された先生の遺徳を後世に伝え且慰霊の誠を捧ぐべくこの碑を建立します
  昭和五十三年十月
    古津千次郎(昭和十六年当時校長)
<建立>
昭和53年(1978年)10月(碑文より)
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03-さ行, 0305宍道町

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<写真>

<地図>松江市宍道町昭和

<碑文>
碑文
持田啓太郎翁ハ明治元年八月十四日本町伊志見持田房太郎氏ノ三男ニ生レ明治三十四年宍道村書記ニ就任以来助役村長ヲ歴任シ昭和二年進ンデ町制ヲ施行シテ初代町長ノ重キニ任ジ昭和十三年退任ニ至ルマデ三十有八年ノ長キニ渉ツテ町村自治ニ其全生涯ヲ捧ゲタガソノ間日清日露両戦役ニ従軍シテ武勲ヲ樹テタコトハ翁終生ノ誇トスルトコロデアツタ氏ハ資性敦撲ニシテ思慮周密飄々模糊タル中ニ頴智ヲ藏シテ和協滑脱裡ニ能ク幾多業績ヲ挙ゲタガ就中町制ヲ布キテ役庁舎ヲ改築シ又出雲製織宍道工場ヲ誘致シタコト等ハ其不滅ノ偉業デアツタ翁ノ如ク身権門ニ出デズシテ能ク衆ヲ率イテ自治ヲ主宰シ永年ノ功ヲ致シタコトハ遍ニ其徳識ノ然ラシムルトコロデ正ニ郷村ノ優材デアツタ其痩躯鶴ノ如キ風姿ハ一郷ノ長老トシテ町民敬慕ノ的デアツタガ昭和十五年五月十六日七十三才ヲ以テ病歿シテヨリ既ニ十五年茲ニ町村合併ノ國策ニヨツテ旧宍道町ヲ解キテ新生宍道トシテ再誕發足スルニ當リ其高風ヲ永ク後世ニ傳エ郷國自治發展ノ鑑トナサントテ茲ニ此碑ヲ建テタ次第デアル

 昭和三十年三月三十一日

宍道町長 三島四郎識  持田勝三書
     木幡吹月撰
<建立>
昭和30年(1955年)3月31日(碑文より)