04-た行, 0405千鳥町

<写真>

<地図>松江市千鳥町

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<碑文>
松江大橋 四つ手の網に 白魚いとしや すくはれる
白魚いとしや 四つ手の網に わたしやあなたに すくはれる

生田春月
明治25年3月、米子市道笑町に生る。
生家没落のため、”貧困と労働”の中にあって戦難辛苦とたたかい文学を志す。17才、単身東京にのぼり大正6年、第一詩集「霊魂の秋」を世に問う。以後、数多くの詩・評論・エッセイ・創作を著わし、詩人として近代日本文学史上に大きな足跡を残す。
一方、独学にして語学を修め、翻訳家として、また思想家としても一家をなす。とくに日本におけるハイネ紹介の業績は高く評価さる。
人生に対し真実に生き抜いた春月は、苦闘・煩悩のすえニヒリズムの徹底堺に達し、38年の生涯に自ら終止符を打ち、昭和5年5月19日、瀬戸内海に身を投ず。
その文業の多くは「生田春月全集」全10巻にあり。
碑面詩は、春月のかくれた一面を示す作品で、郷土山陰をこよなく愛した春月が、大正11年当地をおとずれ詩作した、「出雲新唱」からの一篇である。
昭和51年7月
廣野晴彦誌

05-な行, 0501灘町

<写真>

<地図>松江市灘町

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<碑文表>

杉山一平

つきつめたような顔をしてあるいてゐる高等学校の生徒のマントを見るたびに 私は涙のでるやうななつかしさをおぼえる 私がその時分をすごしたのは裏日本のみづうみに沿つたちひさな古風な街であった 秋から冬にかけて よくみづうみをわたつてくる夜霧に 街はすつぽり包まれてしまった あの白い霧に黒マントを翻へしながら 憑かれたやうに足早に あゝいくたびか夜つぴて 私はあるき廻つたことであらう それは寄宿舎の廊下にともる燈のやうな若年の孤独と寂寥を揚げてはためいてゐる 黒い旗であった あゝいまそれらの旗は 激しい時代の風にどのやうな音たてゝ鳴つてゐるのであらう
<碑文裏>
建立の記

杉山一平は大正三年に生れ 昭和九年に旧制松江高等学校を卒業 今なお旺盛な執筆をつづける詩人 また映画評論家である 今度母校創立八十五周年に当り同窓有志相図り 氏の処女詩集「夜学生」の中から一篇の散文詩を撰び われらが青春の三年間を過した母校と この地によせる限りない愛情と感謝をこめて 茲に詩碑を建てる
平成17年4月8日
<建立>
平成17年(2005年)4月8日(碑文より)