05-な行, 0502灘町

<写真>

<地図>松江市灘町

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<碑文>
お加代は、もと松江藩で鍼医・錦織玄丹の娘。明治維新のとき窮地にたった松江藩のために、身を挺して活躍した女性である。慶応4年(1868)山陰鎮撫使い一行は、松江藩が徳川の親藩であるため、その動静に不信を抱き、更に種々の行き違いがあって松江藩に3か条の難問題をつきつけ、ために家老大橋茂右衛門は切腹して謝罪することとなった。藩はこの対策に苦慮し、松江入りした彼らのいうままであったが、この時これら荒武者を酒席で操縦し、一行の態度を和らげて出雲女の義侠心を発揮したのが彼女である。白刃に貫いたかまぼこを平然と紅唇に受けたとか、幹部に迫って家老のいのちを助けたなどが伝えられる。
松江湖城ライオンズクラブは創立30周年に当り郷土を守るために、一大事となれば一身を捧げて対処するという行為を誇りに感じ、玄丹お加代の胸像を白潟公園に建立しその功を後世に残すものであります。
昭和初期お加代の事跡に着目し、顕彰したのは永井瓢斎である。彼の脚本によって大阪で芝居が上演され、その収益で建立されたお加代地蔵は、いまも石橋町光徳寺にある。(碑文より)

01-あ行, 0103魚町

<写真>

<地図>松江市魚町

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<碑文>
明治元年二月雲州松江藩は明治新政府山陰道鎮撫使西園寺公望卿を迎え存亡の危機に立ったこの時藩の鍼医錦織玄丹の娘加代女はすすんで接待の任に当りその容姿と侠気は一行の胆をひしぎ藩の急を救うに役立ったという晩年酬われなかったが維新の大波瀾に遭遇し身を挺し松江女の気慨を示した玄丹お加代の名を語り継ぐよう由縁の地にこの碑を建立するものである

昭和47年11月松江市民有志
吉村ヨシノ書
<建立>
昭和47年11月建立(碑文より)