04-た行, 0402玉湯町

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<写真>


<地図>玉湯町林

<碑文>
概要
当地区は、本郷川の左右両岸に沿って広がり、東西を山に囲まれた、面積十五ヘクタールの農業地帯で営農作付体系及び受益農家、水利条件等比較的まとまりのある稲作中心の集落であるが未整備のため農業の近代化を阻害している、今回本事業により機械化を図り、共同作業体系の促進と農地の流動化及び高度利用をし農業の近代化と経営の安定化を図る。

全体事業量  区画整理15.0ヘクタール
総事業費   157,000千円
受益面積   15.0ヘクタール
受益戸数   53戸
施行年度   昭和61年度~平成3年度
事業主体   玉湯町土地改良区

  平成四年三月吉日
<建立>
平成4年(1992年)3月吉日(碑文より)

02-か行, 0202鹿島町

<写真>


<地図>松江市鹿島町北講武

<碑文>
講武地区農業基盤整備事業
 竣工記念碑
  島根県知事 澄田信義書

碑文
 ここ講武から佐太にかけての平野一帯は、古くから農耕が営まれてきた大地である。往時この地を治めた松平藩は、平野を貫流する講武川の洪水を利用し、講武城山の肥えた土を下流に流し、湿原を肥沃な耕地に変えてきた。この川が天井川で下流ほど幅が狭かったのはその名残でもある。川は平野に大きな恵みを運んだが、時にその恵みを一夜にして流す水禍をももたらした。講武川が氾濫するたびに利害の相反する上下流の農民は、「切り通し」を舞台にして堤防を切るか否かで対立してきた。今日の農業基盤整備に洪水防止や排水改良対策は欠くことのできないものである。この地を氾濫から守るには講武川の洪水を湯戸に分水することが最善とされてきたが、永年の利害相反の歴史、下流農民の合意をはばんできた。
 このような状況を打開するため、昭和五十七年六月講武農業基盤整備事業推進協議会を結成し、これのもとに講武全地区農民が一致団結の力により難問を円滑に解決し藩政時代からの壁を乗り越え、さらに、時代を見据え叡智をもって講武を新しい大地に変えようとしたのである。昭和五十八年に湯戸排水対策事業が翌昭和五十九年には講武地区全域のほ場整備が始まった。以来七年有余の歳月と二十八億六千万円の巨費をもって講武川からの湯戸排水路を開き、中川を改修し、一三九ヘクタールのほ場が完了し、講武地区は水禍のない美田に生まれ変わり農業近代化の道がここに拓かれたのである。
 これ偏に、国、県、の温かいご指導、ご援助の賜であると共に、四百余農家の一致団結と叡智の結晶である。よって、永くこれを記念するためにこの碑を刻むものである。
   平成三年五月吉日
      鹿島町長 青山善太郎

事業の概要
一、講武地区県営ほ場整備事業
 事 業 費  18億3600万円
 事 業 量  124.4ヘクタール
 関係者戸数  289戸
 工   期  昭和59年4月~平成6年3月
ニ、湯戸地区県営排水対策特別事業
 事 業 費  8億2700万円
 事 業 量  1725メートル
 関係者戸数  209戸
 工   期  昭和58年11月~平成3年3月
三、上講武地区団体営ほ場整備事業
 事 業 費  1億9300万円
 事 業 量  14.3ヘクタール
 関係者戸数  59戸
 工   期  昭和59年4月~平成2年3月
講武地区農業基盤整備推進協議会役員
 省略
施工業者
(株)豊洋建設
(株)カナツ技建工業
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03-さ行, 0305宍道町

<写真>

<地図>松江市宍道町西来待

<碑文>
沿革
当西来待地区は来待川下流西側に位置する平坦地であり大正末期から昭和初期にかけての耕地整理により出来た本町でもまれな穀倉地帯であったが最近の農業の近代化に伴う大型機械の導入及び稲作転換いわゆる汎用性耕地の対応にせまられ遂に地区民一同の要望により土地基盤整備による営農改善を目的とする団体営圃場整備事業として採択された。
昭和五十三年度より着手し昭和五十八年三月全ての事業が完成した。この間県並びに町はもとより地区関係者一同の協力を得て本事業が完工し効率的な営農が出来る美田がここに生まれた。

事 業 名  団体営西来待地区圃場整備
受益面積  28.0ヘクタール
受益戸数  73戸
工  期  昭和53年度~昭和57年度
事 業 費  23250万円
事業主体  八束郡宍道町土地改良区
地区委員  省略
施工業者  (有)大崎工務店
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