03-さ行, 0306末次町

<写真>
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<地図>松江市末次町

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<説明>
内村鱸香(ろこう、本名は友輔、文政4年(1821)~明治34年(1901))は、松江市中原町出身の儒学者・教育者です。小さい頃から学問を好み、24歳のときからは、京都、大阪に遊学し、その後、江戸の学問所で勉学に励みました。その頃からいち早く庶民教育を提唱しましたが、明治6年、小学校が設置されると、初代白潟小学校校長となり、次いで、創設の教員伝習校(島根師範・現島根大学)と松江中学(現松江北高校)の教育に尽くした島根の近代教育の先駆者です。一方、この近くの西茶町に家塾相長舎(そうちょうしゃ)を開きました。その門弟は三千人ともいわれ若槻禮次郎、岸清一、二葉亭四迷ら多くの俊秀を育成しました。また、松江藩主父子の学問相談役であったとき、明治維新の版籍奉還において、的確な提言をして、松江藩・住民を安泰に導きました。(説明板より)
<大きさ>
高さ約2.4m × 幅約1.2m

02-か行, 0204北田町

<写真>
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<地図>松江市北田町

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<建立>
平成22年(2010年)7月(碑文より)
<大きさ>
幅約20㎝×高さ約90㎝×奥行約10㎝

02-か行, 0204北田町

<写真>
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<地図>松江市北田町

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<碑文>
福田平治翁は慶応二年三月鳥取市に生まれ、後祖父と共に松江に移住明治二十六年十月松江地方を襲った大洪水後の孤児貧児を救済すべく二十九年三月五日家業印刷の博広秋に「松江育児院」の看板を掲げて孤児を収容し物心両面の救済と教育に努力。三十七年にこの地に院舎を移転改増築し、一意専心この大事業に生涯を懸け、その後逐年事業を拡げ歳末慰安運動、困窮者身上生活相談、「愛隣社」創立老人ホーム、無料宿泊所、無料職業紹介所等の開設、小住宅、共同浴場、共同倉庫の建設による貧困労働者の救済、鳥取市育児院開設協力、松江市会議員として、低所得者の為の尽力等広く社会事業に献身し、昭和九年京都市に愛隣託児院を設立したが、十六年一月十六日七十六歳をもって永眠した。この間社会事業功労者として宮内省、内務大臣、恩賜財団慶福会その他各方面からの表彰を受けた。ここに翁の偉業を永久に記念し顕彰碑を建立する。
松江市長 斉藤強 書
<建立>
昭和46年(1971年)4月(碑文より)
<大きさ>
幅約0.9m×奥行約0.9m×高さ約2.5m