05-な行, 0502灘町

<写真>

<地図>松江市灘町

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<碑文表>

杉山一平

つきつめたような顔をしてあるいてゐる高等学校の生徒のマントを見るたびに 私は涙のでるやうななつかしさをおぼえる 私がその時分をすごしたのは裏日本のみづうみに沿つたちひさな古風な街であった 秋から冬にかけて よくみづうみをわたつてくる夜霧に 街はすつぽり包まれてしまった あの白い霧に黒マントを翻へしながら 憑かれたやうに足早に あゝいくたびか夜つぴて 私はあるき廻つたことであらう それは寄宿舎の廊下にともる燈のやうな若年の孤独と寂寥を揚げてはためいてゐる 黒い旗であった あゝいまそれらの旗は 激しい時代の風にどのやうな音たてゝ鳴つてゐるのであらう
<碑文裏>
建立の記

杉山一平は大正三年に生れ 昭和九年に旧制松江高等学校を卒業 今なお旺盛な執筆をつづける詩人 また映画評論家である 今度母校創立八十五周年に当り同窓有志相図り 氏の処女詩集「夜学生」の中から一篇の散文詩を撰び われらが青春の三年間を過した母校と この地によせる限りない愛情と感謝をこめて 茲に詩碑を建てる
平成17年4月8日
<建立>
平成17年(2005年)4月8日(碑文より)

05-な行, 0502灘町

<写真>

<地図>松江市灘町

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<碑文>
淞高の庭
淞高(旧制松江高等学校)は大正9年に山陰道における最高学府として創立され昭和25年に廃止されましたが我が国教育文化の上のみならず松江市が文化都市として発展するために大きく貢献しました。
このような史実をふりかえり当時の高校生が弊衣破帽をまとい寮歌を高唱しながら逍遙したこの場所に記念の庭を造成しました。
平成7年5月25日
松江市
松江高等学校同窓会
<建立>
平成7年5月25日(碑文より)

05-な行, 0502灘町

<写真>

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<碑文>
お加代は、もと松江藩で鍼医・錦織玄丹の娘。明治維新のとき窮地にたった松江藩のために、身を挺して活躍した女性である。慶応4年(1868)山陰鎮撫使い一行は、松江藩が徳川の親藩であるため、その動静に不信を抱き、更に種々の行き違いがあって松江藩に3か条の難問題をつきつけ、ために家老大橋茂右衛門は切腹して謝罪することとなった。藩はこの対策に苦慮し、松江入りした彼らのいうままであったが、この時これら荒武者を酒席で操縦し、一行の態度を和らげて出雲女の義侠心を発揮したのが彼女である。白刃に貫いたかまぼこを平然と紅唇に受けたとか、幹部に迫って家老のいのちを助けたなどが伝えられる。
松江湖城ライオンズクラブは創立30周年に当り郷土を守るために、一大事となれば一身を捧げて対処するという行為を誇りに感じ、玄丹お加代の胸像を白潟公園に建立しその功を後世に残すものであります。
昭和初期お加代の事跡に着目し、顕彰したのは永井瓢斎である。彼の脚本によって大阪で芝居が上演され、その収益で建立されたお加代地蔵は、いまも石橋町光徳寺にある。(碑文より)