07-ま行, 0701美保関町

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<写真>

<地図>松江市美保関町美保関

<碑文>

与謝野鉄幹 晶子歌碑
   昭和五年御来町の折に

地蔵崎わが乗る船も大山も沖の御前も紺青のうへ       鉄幹
地蔵崎波路のはての海の気のかげろうとのみ見ゆる隠岐かな  晶子


平成十年十一月吉日
美保関灯台百周年記念事業実行委員会

<建立>

平成11年(1999年)11月(碑文より)

02-か行, 0202鹿島町

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<写真>

<地図>松江市鹿島町南講武

<碑文>

県道野波松江線高田尾峠
改修記念碑
昭和三十年三月

<建立>

昭和30年(1955年)3月(碑文より)

02-か行, 0202鹿島町

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<写真>


<地図>松江市鹿島町佐陀宮内

<説明文>
この石碑は、清原太兵衛が一身を賭して佐陀川開削の大事業を成し遂げたことを顕彰し、後世に伝えるため昭和三年九月、清原太兵衛頌徳会が中心となって建設した。
石碑の裏面に記されている文章の概要は左記の通りである。

  概要

斐伊川が東流(1635~1639)したことにより、宍道湖周辺はしばしば洪水に襲われ、松江藩はその対策に腐心していた。
天明に入るととくにその被害が甚大で、同5年(1785)、清原太兵衛の12回に及ぶ建議を容れ、藩は漸く佐陀川開削に着手。藩命を帯びた太兵衛は、宿願を適えんと勇躍佐陀の地に赴き、多くの困難を克服、約3年の歳月を経て完成に漕ぎ着けた。
だが、太兵衛は、一ヶ月半後に控えた盛大な川開き式を前に、それを見ることもなく、同7年11月28日、にわかに逝去した。翁、76歳の偉大な生涯を終えた。
その後の佐陀川は、洪水の緩和や新田開発に役立つと共に、松江と日本海を結ぶ最短航路として、松江を始め周辺部に文明開化にも及ぶ効用をもたらした。

  平成18年3月吉日
  清原太兵衛顕彰会
<建立>
昭和3年(1928年)9月建立(説明板より)