03-さ行, 0304宍道町

<写真>

<地図>松江市宍道町上来待

<碑文>
宍道町・来待村 合併三十周年記念
宍道町長 松本武正書

建立由来
 本町が、昭和三十年四月当時の国策に沿って合併し、新町誕生発足、爾来既に三十幾星霜、町運も愈々隆盛の道を辿っていることはまことに同慶の至りであって、その恩恵は町民斉しく享受しているところである。
 時恰も、旧来待村の中心地である当大森区へ、その装いも重厚な農村環境改善センターが建築なされたことを機に吾等相議り芳志を募り、茲に合併三十周年記念の碑を建立して郷里先達の偉業を偲ぶとともに、本町の限りない発展を祈念するものである。

   昭和六十三年七月吉日
      島根県八束郡宍道町長 松本武正

合併三十周年記念碑建立発起人会
<建立>
昭和63年(1988年)7月建立(碑文より)
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03-さ行, 0304宍道町

<写真>

<地図>松江市宍道町上来待

<碑文>
皇太子殿下御降誕記念 来待神社御奉所
<建立>
昭和9年(1934年)5月(碑文より)
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03-さ行, 0303白瀉本町

<写真>

<地図>松江市白潟本町

<碑文>
小泉八雲ゆかりの地-10 源助柱・大庭の音のする石
堀尾吉晴公が初めて橋を架けようとした時、余りにも難工事だったため一人の男を人身御供にした。その源助の名をとって大橋の中央の柱を源助柱と呼んだ。小泉八雲は著書「神国の首都」に興味深く記している。
また打てば鐘のようにひびく大庭の石は、一定の距離以上へ運び去ることは出来ないという伝説の通り、松平公がその一個を松江城に運ばせようとした時、石が非常に重くなってきて千人かかっても大橋から先へ動かすことが出来なかった。
     著書 知られぬ日本の面影・八重垣神社
小泉八雲は島根県尋常中学校赴任のため、1890(明治23)年8月30日に松江入りしたが、その際、彼をのせた汽船はこの付近に到着したといわれる。

LAFCADIO HEARN-10
The Memorial Monument for Gensuke and the Musical Stone of Oba Gensuke “had lived in the street Saikamachi” and was “put under the bridge” as a victim.”The midmost pillar was called by his name,-Gensuke – basira”(Chief City”).
There is a legend about the Musical Stone of Oba that it cannot be carried beyond a certain distance.When a daimyo (a feudal lord) ordered it to be conveyed to his castle at Matsue,the Stone made itself so heavy that a thousand men could not move it.So it was abandoned before the bridge.(“Chief City”)
Lafcadio Hearn came to Matsue City to teach at the Shimane Middle School on August 30th,1890.
It is said that his ship arrived in this area.
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