02-か行, 0202鹿島町

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<写真>

<地図>松江市鹿島町御津

<碑文>

朝日の中
御津浦峠 のぼりたるに
海眼をうてり 紺青のかがやき

木下利玄(1886~1925)は、田足守藩主十三代当主の甥として
現岡山市足守町に生まれ、のち宗家を継いだ。
少年時代佐々木信綱の竹柏園に入門して短歌を学び、東京帝大国文科在
学中に武者小路実篤、志賀直哉らと「白樺」を創刊した。「利玄調」と
呼ばれる独特の歌調を樹立し、白樺派歌人として明治大正期の文学史に
大きな足跡を残している。
この歌は大正五年十月利玄が加賀潜戸を訪ねた際、御津の風景を詠んだ
歌の中の一首で、歌集「紅玉」に収められている。
美しい御津の景観とともに、この歌が地区青少年の愛郷心を育む一助と
なることを願い、ここにその歌碑を建立する。

   平成五年十二月吉日
                御津区

<建立>

平成5年(1993年)12月(碑文より)

02-か行, 0202鹿島町

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<写真>

<地図>松江市鹿島町御津

<碑文>

昭和七年十月竣功
 船溜修築記念
  従三位勲二等 櫻内幸雄書

御津村漁業協同組合建之

<建立>

昭和7年(1932年)10月建立(碑文より)

02-か行, 0202鹿島町

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<写真>

<地図>松江市鹿島町佐陀本郷

<碑文>

増田渉君の帰国を送る

扶桑(日本)は正にこれ秋光好し、
楓葉は丹の如く嫩寒に照る。
却て垂楊を折り帰客を送る、
心は東棹に随って華年を憶う。

 増田歩が日本に帰る際、魯迅が贈った送別
の詩で、「日本はいま紅葉の美しい秋であろ
う、貴方が国へ帰るにつけても、私も若かり
し日の日本留学時代のことを憶う。」という
意である。
 この詩は、一九七八年日中平和条約批准の
ため来日した鄧小平福総理が歓迎の席で日中
友好の好例として紹介している。



 増田渉先生は明治三十六年、鹿島町片句に
生まれた。
 東京帝国大学を卒業し、昭和六年、上海に
わたり、魯迅に親しく教えを受けた。帰国後
も片句と上海との間で文通が続き、その親交
は日中両国の友好を示す逸話となっている。
「中国小説中略」の翻訳をはじめ、「魯迅の
印象」を著すなど、中国文学を広く紹介する
とともに、その基礎的研究を深め、新しい方
面を示したことは大きな功績である。
 戦後は、島根大学を大阪市立大学、関西大
学などで、その後進を育てた。
 昭和五十二年、中国文学者竹内好への弔辞
を朗読中に倒れ、その生涯を閉じた。

   平成五年三月    鹿島町

<建立>

平成5年(1993年)3月(碑文より)