02-か行, 0201学園南

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<写真>

<地図>松江市学園南

<碑文>
ひろしまのエノキ二世
昭和20年(西暦1945)、広島に落とされた原爆は、すべてのものを焼きつくしました。
爆心地近くのエノキの大木も幹は割け大きな空洞ができていました。
何年かのち、もう一度芽をつけ枝も広がりましたが、二度の台風で折れ、ついには枯れてしまいました。
しかし、まわりにはしっかりと根をはったエノキの二世が育っていました。
この木はその仲間です。

世界の平和と少年少女の健やかな成長を祈りながら
松江ライオンズクラブ
平成10年11月28日
<建立>
平成10年(1998年)11月28日(碑文より)

02-か行, 0202鹿島町

<写真>

<地図>松江市鹿島町佐陀本郷

<碑文>
碑文
この記念碑は、新世紀の発展に道をひらこうと一心にして島根県と鹿島町、地元が一体となって十年間にわたり取組んだ佐太南地区農村活性化住環境整備事業の竣工に当り記念碑を建て新しい街づくりの「道ひらく」の意を明記し末長く残すこととした。
平成十四年一月十一日

島根県知事 澄田信義
鹿島町長 青山善太郎
佐太南地区農村活性化住環境整備事業推進協議会長
<建立>
平成14年(2002年)1月11日(碑文より)
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02-か行, 0205北堀町

<写真>

<地図>松江市北堀町

<説明>
御典医北尾徳庵屋敷跡
この公民館の場所には、江戸時代に松江藩御典医筆頭であった北尾徳庵の屋敷がありました。
徳庵は、主に殿様やその家族の人の健康管理を受持っていましたが、そのためには、当時の医学である漢方は勿論、西洋医学についても研究していたと言われます。
そして、文化三年(1806)七月、かの伊能忠敬が日本地図作成のため松江に来て発病した時には、二代目徳庵達の治療を受けたであろうと考えられます。
その屋敷は、明治となった後、松江地方検察庁の検事正公舎となり、平成八年に城北公民館が移築されるまで江戸時代の武家屋敷が残されていました。(説明板より)
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