08-や行, 0802八束町

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<写真>

<地図>松江市八束町入江

<説明>
明治期において、入江戸長、村会議員として、郵便業務、養蚕、薬用人参の振興、松江市・米子市・境港市との航路開設に尽力した。また、慶應義塾に学び、福沢諭吉翁の信頼が厚い門弟としての交流も知られている。

02-か行, 0202鹿島町

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<写真>


<地図>松江市鹿島町恵曇

<碑文>
青山善一郎頌徳碑
     文部大臣 松田竹千代 書

 故青山善一郎氏は島根県八束郡鹿島町大字恵曇町の人なり。明治二十三年五月二十五日善太郎氏の長男として其の郷に生る。長じて島根県立松江中學校を卒え家業を嗣ぐ。性剛毅闊達にして極めて進取の気象に富めり。夙に後進地域の殖産開発の大望を抱き、即ち水産業の振興を圖るべく佐陀運河々口に漁港を拓かんとし大正九年同志と相謀り、江角漁港期成同盟會を結成、自ら會長となりて東奔西走寝食を忘れて之を促進せり。而して大正十年島根県會に於て漁港調査費の可決をみたるにより時の衆議院議員たる予が先考幸雄の協力を求め各方面に不撓不屈の努力を重ねたる結果第四十六国會に於いて之が築港の議決をみるに至れり。斯くして大正十二年度より昭和七年度に至る十年の歳月と百二十余萬圓の巨費とを費やして待望の漁港を竣工し地方産業に一大飛躍の礎を築けり。その間昭和四年恵曇村長に、翌五年島根県會議員に選ばれ、又推されて県會参事會員の要職に就く茲に於いて予て抱懐せる地方殖産の實現を期し漁港の発展策として製氷、缶詰の事業を興し、上水道事業を肇め後方輸送路の重要性を認めて松江市に通ずる産業路線を県道として開通せしめ、これに村営バス事業を創めて貨客輸送の便を圖れり。更に昭和初期より若くして八束郡外海水産會々長、江角漁業協同組合長となるや進んで島根県漁業組合連合會の結成に盡力し推されて會長として晩年に至る。
 在職満五年、よく今日の県漁連の基礎を築き、傍ら魚行商人の育成に心を傾ける等郷土漁業界の振興発展に努むる所極めて多し。又恒に郷党の精神作興に意を注ぎ明治維新の志士因藩五士の顕彰を圖り塋域を補修し遺品を蒐めて記念館を建立する等常時念頭に郷土愛の勃々たるものあり。世人挙げて敬仰おかざるところなりしに不幸病を得昭和十八年遂に歿せらる。時に年未だ五十四歳、痛恨焉ぞ耐えん。
 然れども氏の遺せし幾多の事蹟は後世に燦として輝き郷土今日の繁栄の因を為したりと謂うべし。宣べなる哉茲に郷党の有志相謀り氏を追慕し頌徳碑を建立されんとす。仍而不肖嘱に應じて其の碑を謹んで誌す。

   昭和三十五年三月
<建立>
昭和35年(1960年)3月(碑文より)

03-さ行, 0304新雑賀町

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<写真>


<地図>松江市新雑賀町

<碑文>
渡部寛一郎先生 私塾普通學舎跡
寛一郎は明治十六年この地に「普通學舎」を開き中学校や師範学校の入学準備や教員検定の志願者に教育学・教授法の指導にあたった。
新知識と技術を教えた寛一郎の指導は学生の敬慕の的となり県内外から学ぶものが多かった。塾生は、百八十三名を数える。自主独立を基本とした教育精神は島根の近代的学校の先駆者的役割を果たした。
資料は後に南田町旧藩木実方に設立した私立修道館資料と共に雑賀教育資料館に保存されている。
<建立>
平成20年(2008年)11月吉日(碑文より)