05-な行, 0510野原町

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<写真>

<地図>松江市野原町

<碑文>
弁慶生誕の地 本庄
弁慶伝説「越えた坂」
母・弁吉を後追いする幼い弁太(弁慶の幼名)
弁慶の里 道の駅本庄

01-あ行, 0105大井町

<写真>

<地図>松江市大井町

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<碑文>
圃場整備記念
 島根県知事 恒松制治 書
<説明文>
事業の概要

この地区は、大橋川河口の沖積平野で、中海の水位より低く、藩政の昔から小舟にて泥土を運び石垣を積んで新田を拓き開発の努力を続けていたが、浜州同様の空待ち田では野鳥も宿り、三尺未満の作道は、農夫の行きかいが出来ず、又半里も遠い「目無水池」からの用水の不足は常習で争いの絶える事がなく、一度風水害の襲来ともなれば護岸は破壊され海水の流入も幾度かその数知れず、超湿地田排水不良田では腰まで濡れての苦斗で、植付苗は腐敗根絶し、幾度と植替を繰返した。尚秋の冠水は稲穂を覆い収穫皆無も続出、連年その災害には目を覆うものであった。
地区農民は世々何度か基盤整備や改良をさゝやき「護岸工事」「岩汐溜池」の構築「用水路」の改修等々大自然との斗いを続けていた偶々、昭和五十年、松江市長斎藤強氏の提案で改良事業の気運が急速に高まり、協議や陳情を重ねて減反政策の進む十二月衆議が決定、昭和五十三年七月、農道、用排水路、排水機を完備する団体営圃場整備事業として着工し爾来、県、市の適切な指導と、関係者の協力により順調に工事が進行して、延六ヶ年の長期にわたった世紀の一大事業が遂に完成し中海農免道橋架橋の発端となり、地域農業発展の拠点に生まれ変わることが出来た。
こゝに、郷土の未来に、称栄えの理想郷実現を記念して碑を建立す。

昭和五十八年十一月吉日建之

事 業 名 大井地区圃場整備事業
設計指導 島根県耕地第一課
     松江市経済部耕地課
     島根県土地改良事業団体連合会
事業主体 松江市土地改良区
事 業 費 四億四千九百万円
工  期 着工 昭和五十三年七月
     完工 昭和五十八年十一月
事 業 量 従前地六一三筆約四十八町四反
     施工後ニ三九筆約45.9ha
関係農家 105戸
施 工 者 東洋建設株式会社
     中機工業株式会社
<建立>
昭和58年(1983年)11月吉日建之(説明文より)

03-さ行, 0304宍道町

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<写真>

<地図>松江市宍道町昭和新田

<碑文>
宍道湖岸を埋立て新田をつくることは己に明治年間から郷土の先覚によって行われてきたのであるが近年になって荻田灘が補助干拓として造成され更に県会議員多根一義氏等の主唱と参議院議員重政庸徳氏の盡力によって佐々布沖宍道湖の入江が昭和三十年オランダ式工法による国営代行干拓事業として採択せられ尓来十余年の歳月と三億七千余万円の事業費をもって茲に広大な耕地の完成を見たことは慶びに堪えない
よって之を記念してここにこの碑を建てるものである

 総面積  七十一ヘクタール
 造成耕地 五十三ヘクタール

昭和四十二年三月

 宍道町長 三島四郎 識す
<建立>
昭和42年(1967年)3月(碑文より)