06-は行, 0604東出雲町

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<写真>

<地図>松江市東出雲町出雲郷

<銘文>
古代神話の昔八束水臣津野命が今の島根半島を四回に分けて、太き綱をかけて国来い、国来いと力一ぱい引き寄せて国引きの大業を終って杜の中に枝を衝き立てて「オエ」といはれた所を意宇杜と云ふ。
後に意宇郡意宇の海意宇川など地名発生の元であると云う。今年はくにびき国体が開催せられその記念事業として国引きの碑を有志相よりて建て古代の出雲神話を高揚し広く郷土の人々にその大業の精神を伝えんとする。

市向歌碑を守る会
昭和五十七年五月三日建立
<建立>
昭和57年(1982年)5月3日

06-は行, 0604東出雲町

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<写真>


<地図>松江市東出雲町下意東

<説明文>
第十二代横綱力士 陣幕久五郎

第十二代横綱力士陣幕久五郎は江戸時代最後の幕末随一の強豪力士で、島根県では唯一人の横綱である。
174センチ138キロの筋肉質のガッシリとした体格で、じっくり守勢に構えたらテコでも動かない堅固な取口で、殆どケガ負けが無く「負けず屋の陣幕」と異名をとった。入幕以来、75勝5敗3預り17引き分けで勝率0.946の成績は古今の大力士の中では、雷電、谷風、常陸山に次ぐ抜群の超強豪である。又終生只の一度もマッタをしなかった力士として相撲史上に輝かしい規範を残している。

「受けながら 風の押手を 柳かふ」
横綱となって、名を「通高」と称し、戸籍を陣幕久五郎と定め晩年は「士師通高」と称した。横綱引退後は大阪相撲頭取総長、勧進元を11年間務め実力者として君臨し、大阪相撲を江戸相撲と同格の地位に高めるなど改革を進め、地方力士の育成、国技館建設の企画等、相撲の発展と角界の品位の向上を図り、相撲史上特記される業績を残した。
陣幕は勤王憂国の志強く、幕末から明治維新にかけての急激な変革と世情動乱の中を、旺盛な覇気と行動力で生きぬき、岩崎弥太郎・西郷隆盛・清国李鴻章など、政財界、有名人の幅広い人脈を築き交流を深め、人間的修養を積んだ。

敬神崇仏の念に厚く、独学で全国各地の社寺仏閣へ鳥居、玉垣、石燈等の寄進は枚挙にいとまがない。
51才で相撲界を引退、歴代横綱力士の顕彰、建碑に専心し、建碑狂と誤まり伝えられるほど陣幕半生の大事業の実現に没頭した。特に東京深川、富岡八幡宮に建立した「横綱力士碑」は陣幕65才の時発起してから8年を要して竣工落成した。巨石碑では日本一といわれ、歴代の横綱の呼称を天下に定着させ、今日に至らしめた功労者である。
横綱力士陣幕の風格と大きさを現す代表的なものである。
他に明治6年、当地に建立した「日本横綱力士陣幕久五郎通高碑」「初代明石碑」「二代綾川碑」等々いずれもスケールの大きなものである。
茲に九重親方(横綱北の富士)、陣幕親方(横綱千代の富士)を迎え、夢とロマン物語「横綱陣幕久五郎顕彰事業」を記念し、業績を記す。

平成3年(1991年)10月28日

06-は行, 0602東忌部町

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<写真>

<地図>松江市東忌部町

<碑文>
日本土木学会選奨土木遺産
千本堰堤
2003年(平成15年度)日本土木学会選奨土木遺産に認定された”千本堰堤”は、1918年(大正7年)に完成した山陰で初めての近代水道施設です。
外観は重厚な雄姿を備えた御影石造りで、現在でも松江市民の大切な水がめとして活用されています。
認定日2003年11月27日