03-さ行, 0301雑賀町

<写真>

<地図>松江市雑賀町

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<説明>
弘前の人で父は津軽藩の藩医、東京帝大医学部第一期卒の医学士となり明治12年島根県が県立医学学校設立のため松江医院長として招請した。流行病の撲滅、開業医の指導養成、病理解剖など山陰の医学史に残る功績を残し、5年の勤務を経て宮城県に転じた。
明治19年、海軍大軍医補に抜擢され、海軍医学学校教授、軍艦「金剛」の軍医長を務めた。同24年フランスで建造した新艦「千鳥」で帰国するも瀬戸内海で針路を誤った英国船が衝突転覆する奇禍にあい亡くなった。森本文斎らが松江に顕彰碑建立を働き掛けた。(説明板より)
<建立>
明治27年(1894年)建立(説明板より)

02-か行, 0201学園南

<写真>

<地図>松江市学園南一丁目

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<碑文>
四つのテスト
Ⅰ眞実かどうか
Ⅱみんなに公平か
Ⅲ好きと友情を深めるか
Ⅳみんなのためになるかどうか

国際ロータリーが創立されて100年目に当たるこの時に、松江・松江南・松江東・松江しんじ湖の4ロータリークラブが相集いロータリアンの行動の指針である四つのテストの碑をここに建立する。
2004年10月吉日
<建立>
平成16年(2004年)10月建立(碑文より)

03-さ行, 0301雑賀町

<写真>

<地図>松江市雑賀町

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<説明>
松江藩士の三男に生まれ、のち雨森姓を継ぐ。浪速や江戸昌平黌の優れた儒者に学び、帰国すると藩主の侍講や儒学教授を務める傍ら、内中原で私塾「養生塾」を開いた。
幕末維新には、幕府軍総督軍議に列し、藩論を背に縦横の活躍をした。維新後政府の公議人にも選ばれ、京の諸山で経史を講じて著述に努めた。病を発して帰国、隠居後、平田(現出雲市)で私塾「亦楽舎」を開き、千家尊福、滝川亀太郎ら時代を担う優れた門人を輩出した。(説明板より)
<建立>
明治36年(1903年)建立(説明板より)